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2005/04/07

ローレライ

役所広司主演の『ローレライ』を観てきた。

原作は福井晴敏氏の「終戦のローレライ」。「亡国のイージス」で一躍有名になったのは記憶に新しい。「イージス」を読んだ樋口監督が惚れ込んでしまい、映画用の脚本を依頼して今作品が生まれたという逸話もある。そのとき興業的要素も鑑みて、「亡国のイージス」のようであり、かつ女性が登場する話を依頼したという。映画には華が必要ということだ。

既に映画館に足を運び、この作品を絶賛していた知人の話では「泣ける」という。歳をとり涙腺がゆるんだと言えども、数多の泣きシナリオを読みあさった猛者を自負する私にとって、どの程度泣けるだろうかと楽しみにしていた。

結局のところ、泣きどころはそこそこにあるのだろうが心の琴線を震わすには至らなかった。その理由は「人」の存在感である。ローレライシステムというSFを戦争映画に持ち込み新鮮さは感じられる。しかし戦争映画の醍醐味である各人の葛藤という心理描写が描き切れていない。つまりこの映画は漫画・アニメに近い。ディティールよりもデフォルメが重要視されている。そのせいなのか、この映画に登場する「人」は「役」の域を越えていないように思えた。典型的な「潜水艦船長」、典型的な「役立たずな首脳部」、典型的な「傲慢な米国人像」。そんな「役」が踊る映画など、犯人を知ってしまった推理小説を観ているかのようで、退屈すぎた。

こんな私も、ゲーム・漫画・アニメという3大サブカルチャーの申し子であって、言い換えるとヲタクである。日本人は世界で一番デフォルメという様式美を理解している人種であるという誇りさえある。しかし、これらメディアにおいてでさえ、デフォルメだけで受けていたのは遙か昔の話である。デフォルメの中にリアリティを求める時代になっている。つまり「人」「社会」「現実」を、隠し味として忍ばす事ができるかが、より求められていると思う。

突拍子もない設定、今作でのローレライシステムなどは些末なものだ。アイスクリームのトッピングのようなもので目新しさを演出する要素にすぎない。興行的には、観客導入において効果を発揮するのだろうが、ロングランになる映画は、核となるアイスクリームの味わいがあるはずだ。成熟したメディアは表現方法こそ異なるものの、帰結点は同じになると私は思う。物語を語る上で重要なのは「人」を描けるかにあると思う。

比較するのも失礼かもしれないが、潜水鑑映画の名作である『眼下の敵』を鑑賞いただきたい。私が言う心理描写の答えがそこにある。名作は「人」を描く。

批判ばかりになったが、駄作ばかりの邦画の中ではマシな方だ。海をCG・潜水艦を模型とする特撮技術は、ハリウッドの最新技術だそうだ。見応えのある絵に仕上がっている。シナリオも『アルマゲドン』で泣けた人ならば、反対にお奨めできるほどだ。つまり大多数の日本人には満足いくレベルの映画だと思う。しかし忘れられていく映画の典型であると私は思うのである。

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